神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

四千冊集めた古書目録コレクター呉峯とは?

『百年一趣』上・下(土俗趣味社、昭和21年)、五千円出した甲斐があったようだ。呉峯生「古本販売目録に就いて」というのが載っていた。所蔵の古書目録を分類していて、地域別古書店数調では355店、地域別冊数調では総数4104冊(3792冊+即売会案内等312冊)、年別分布図では明治26年発行の2冊など明治期が10冊、大正期が138冊、昭和期が3522冊、年号なしが110冊*1である。今なら場所さえあれば数年で四千冊の古書目録を集める人はいるだろうが、戦前にそれだけ目録を持っていた人はそれほど多くはないだろう。千代田図書館に寄贈された反町茂雄の目録は東京都古書籍商業協同組合の分も含めて約七千冊であった。
呉が目録を集め始めたのは、「元来日本書籍総覧とも云ふべき大望から出発したもの」で、「方法として第一次的には各地の官公立及大学図書館と著名文庫の目録とを綜合し、以下第二第三段と実行して行くとすれば、それ程の困難もなさそうに見える」が、「人と金の面で行詰つて居る」という。呉は『国書総目録』のようなものを目指していたのであろうか。
呉が集めた四千冊のうち、自分に送付されたのは千冊で、残りは各地の同好者の好意により蒐集できたという。コレクター同士のネットワーク、恐るべしである。
さて、この呉の正体がわからない。

(略)本職の研究では趣味と縁遠いし「科学史」の研究には目鼻もついて居ない、「書誌学」に至つては大家名家が雲の如く集つて居られるから恥を書くだけに過ぎない。

として、本稿を寄稿したという。先行文献として、昭和9年中に古典社に寄贈された古書目録の月別発行数などを示した『古本年鑑』昭和十年版(古典社、昭和10年11月)を挙げているが、同社の『特選蒐集家名簿』(昭和10年3月)に名前はなかった。
なお、『こぼれ梅』(加藤駿、明治34年5月)に呉峰生「吾人か推薦すべき者」が載っている*2。伊丹人士諸君に推薦するのは、社会の反射たる新聞紙であるというものである。同誌は伊丹高等小学校の同窓会誌のようなので、同一人物だとすると、伊丹出身かもしれない。
古書目録コレクターの呉さん、あなたは一体何者ですか?

*1:合計すると3780冊だが、総数3792冊と合わない。

*2:『こぼれ梅』1号(関西青年会、明治35年5月)には呉峯「重盛論」が載っている。