神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

松原成信と水谷星之介(和夫)の同人雑誌『憧憬』

グーグルブックスによると、松原成信と水谷星之介が『滋賀県史 昭和篇』6巻(滋賀県、昭和60年3月)に出てくるらしい。早速見てみると、

蒲生郡金田村(現近江八幡市)の松原成信は、水谷星之介と共に、総合文芸誌、『憧憬』を発刊、一〇号まで続いたが、戦時下のため、休刊、松原は応召、戦病死。
(略)
終戦直後、水谷星之介(大正一一年生)がいち早く、『憧憬』改題の文芸同人誌『三太郎』を発刊。水谷自身は創作や詩を書き、二二年までに三号。二三年より二六年まで、『氷河』と改題。五号まで発行。一方水谷は、当時県庁職員であった岡田行生と、「文芸首都滋賀支部」を二五年に結成。『滋賀文学』を創刊。水谷は大津生。本名和夫。膳所中学校を経て、小樽高商卒。海軍予備学生となり復員。滋賀県立図書館次長をつとめた。

いや、『憧憬』が県史に載るような同人雑誌だったとは驚いた。10号まで続いたというのは何で確認したのかな。どこの図書館も所蔵していないようだが。『憧憬精神』(磯田克爾、昭和18年12月)の松原の「跋」によると、同誌の副題として「緑の枯草」、「甲蟲」、「一本道」、「ハイデルベルヒ」、「超人」、「知られざる神」、「道程」、「紫の火花」、「末期の眼」を挙げていて、確かに10冊ほど発行されたようだ。また、「『炉火』の時から僕等の精神を互に支へた水谷、島林、池長、又『憧憬』を共にした磯田、清水、増永」とある。『憧憬』の前に『炉火』という同人雑誌があったようだ。また、松原と水谷は膳所中学校で同級生だったと思われ、その後水谷は同志社大学には進学してないので、『憧憬』が同志社大学生による同人雑誌という私の推測は間違いだったようだ。
なお、水谷が戦後創刊した『滋賀文学』は第2号から『駱駝』と改題。同人には外村繁の紹介で『新小説』に発表した「異邦人」で芥川賞を受賞する辻亮一がいるという。