神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

東亜同文書院教授植田捷雄宛絵葉書

天神さんの骨董市で拾ったもの。昭和9年1月1日付け支那上海東亜同文書院住宅内の植田捷雄宛の絵葉書(立山彌陀ヶ原と大日岳)。差出人の東京中野の弦間紀寛の経歴は不詳。植田は、『昭和人名辞典Ⅱ』によると、

明治37年9月9日生、高知市出身
昭和3年 東大政治科卒、大毎東亜部勤務
5年 東亜同文書院教授、東方文化学院研究員、外務省嘱託
17年 東大東洋文化研究所庶務
24年 東大教授
[家]母峰子(明16)、妻文子(明43)梅花女専卒、長男勇幸(昭7)東京教育大附高卒、二男元(昭9)、三男知雄(昭15)

文面には、「御母上様には常々一方ならず御世話を被り深く感謝致して居ります」とある。
古書展でもたまに絵葉書をシャカシャカするが、図柄より宛名、差出人をチェックしている。おかげで、昭和9年に上海の東亜同文書院住宅に届いた葉書が時間と空間を飛び越えて今私の手元にあるという面白さを味わっている。