神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

原武史『皇后考』で疑問に思ったこと

原武史『皇后考』(講談社、2015年2月)は、『蘆花日記』や『関口日記』まで言及されていて感心した。ただ、一点資料の使い方に疑問がある。535頁で、

その翌日、高松宮は日記に謎の記述を残している。
陛下ノ時局ニ関スル御判断、楽観ニスギルヲオソル。御性質「大宮御所トノ関係、沼津ヨリ御皈リノ時ノコト、等」。(前掲『高松宮日記』第八巻)
最初の一文が、まだ戦争終結の決断ができない天皇に対する批判を意図しているのは明白である。問題はその次の文である。「御性質」とは、天皇の性格のことだろう。高松宮は、四二年十二月に皇太后が沼津から戻ってきたときの天皇の態度を想起しつつ、皇太后を恐れる天皇の性格について危惧していたのではないか。(略)

「謎の記述」について、高松宮の考えとしているが、その日の高松宮日記は次の通りである。

(昭和二十年)
六月九日 (略)
一七三〇松平元宮内大臣([ママ]用(キク子、大本営施設ノ話ハキイテヰルガ、未ダ極秘ニテ宮内省ヨリ見分シアラズ。陛下ノ時局ニ関スル御判断、楽観ニスギルヲオソル。御性質「大宮御所トノ関係、沼津ヨリ御皈リノ時ノコト、等」。「新宮廷婦人服装ノコト」等々)。
(略)

この文章で、「大本営施設」つまり松代大本営の話は聞いているが、宮内省からは見分してないとか、陛下(昭和天皇)の時局に関する判断や大宮御所との関係、新宮廷婦人服装などについて発言したのは誰だと考えるのが適当であろうか。私は、松平恒雄宮内大臣だと思う。丸括弧の中は松平が訪問した用件の内容と見るのが普通であろう。また、松代大本営について「宮内省ヨリ見分シアラズ」と発言するのは宮内省側の立場に立つ人と考えられる。気になるのは、「キク子」とあることで、一見、キク子(高松宮夫人)の発言のようにも見える。この点については、新宮廷婦人服装の話があるので同席したキク子の名を付記したと推測している。いずれにしても、高松宮の考えと見るのは誤りと思われる。皆さんは、どう判断されるでしょうか。

皇后考

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