神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

昭森社の森谷均も図書研究会の会員だった・・・かも

『ブック・レビュー』(後に『ブック・マン』を経て『内務省納本月報』に改題)の復刻版(金沢文圃閣)で発行所である図書研究会々員の名簿を見てると、「森谷均(大阪)」なんていうのもあった。「本会新申込者芳名録(六)」で、同誌1巻12号、昭和2年10月に掲載。後に昭森社を創立する森谷と同じ名前である。高橋輝次『古書往来』(みずのわ出版、2009年5月)所収の「大正モダンを駆け抜けた画家、吉田卓と森谷均の若き日の交流」によると、森谷は大正末期から昭和初期にかけて大阪の東洋紡績に勤め、画家との交流や獅眠庵という詩の結社も主宰していたらしい。図録『大正モダンを駆け抜けた画家吉田卓展』(ふくやま美術館、1991年6月)に大正13年6月から15年6月までの「森谷氏宛吉田卓書簡」が載っているとのことなので見てみると、確かに森谷の住所は大阪市になっていたが、図書研究会に関する記述はなかった。しかし、後に昭森社を興す森谷が図書研究会の会員だったという可能性は十分高そうだ。なお、名簿に須田国太郎の名もあることは、「図書研究会々員だった?須田国太郎」参照。

古書往来

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