神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

三密堂書店で『呼潮遺稿』(若林乙吉、明治43年1月)を

三密堂書店の100円均一台で上記を。未知の人の饅頭本の場合、旧制高等学校帝国大学卒業、或は出版・印刷などの関係者で面白そうであれば購入するのだが、本書はどれにも該当しない。大分前から棚にあるのは気付いていたのだが、あまりに無名の人すぎて買うのを止めていた。しかし、明治期に滋賀県で発行の非売品の小冊子ということでやや私の好きな種類の本だし、私しか買う人はいないかと買ってみた。
内容は、呼潮と号した明治18年近江河瀬生まれの若林辰次郎の遺稿の俳句が中心。その他に、遺影、親友牧星の序、伯父若林桂州の「呼潮のことゞも」、附録に牛門会「呼潮鮒江追悼集」など。発行兼編輯者は近江国犬上郡河瀬村の若林乙吉。桂州の文によると、呼潮は8年前に中学を辞し、1年余り生糸製造業を学び、帰省中発熱。これが、肺結核の初期であって、爾来二見、須磨、浜寺、茅ヶ崎、興津などで療養するも、腹膜炎を併発し、明治42年7月26日興津海浜院で死去、行年25。
若林乙吉は、昭和18年9月発行の『大衆人事録』に明治5年5月生まれ、若林製糸紡績(株)社長、犬上郡河瀬村、趣味俳句旅行とある人で、桂州は俳号だろう。明治期に結核で何万人死んだか知らないが、お金持ちの伯父がいたおかげで、遺稿集を残せたのは幸せなことである。
最後に遺稿から一句を。
三保に行く人のせて船霞みけり