神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

澤田書店で『靖国 藤澤賢司君追悼誌』(昭和17年7月)を

同志社大学今出川キャンパスの西門前に澤田書店がある。今時のおされな古本屋ではなく、古典的な何年も前から時計の針が止まったままのような店である。こういう店にこそ同志社大学の先生が放出した日本に一冊しかない珍本が埋もれているかもしれない、と期待して時々覗きに行くのだが、残念ながらそんな本にはまだ出くわしていない。
20円均一のワゴンが店内にあって、同志社立命館の紀要や学士会月報などが詰まっている。旧制松本高等学校を卒業した同志社の先生が処分したのか、同校関係の雑誌が混じっていて、何冊か買ったことがある。先日も『靖国 藤澤賢治君追悼誌』(藤澤賢治君追悼誌刊行会、昭和17年7月)を拾った。非売品、116頁。刊行会の代表者は広島市の澤田正熙。扉に「写真文章共に軍当局検閲済み」とある。
藤澤の略歴は、

大正3年12月10日 長野県下水田郡秋津村に出生
昭和9年3月 松本高等学校文科乙類卒業
昭和12年3月 東京帝国大学法学部法律学科学士試験に合格
同年4月 日本産業株式会社大阪鉄工所に就職
同年12月 歩兵第七十五聨隊第三中隊に入営
昭和14年3月 熊本陸軍教導学校卒業
昭和15年2月 中支に於て迫撃砲弾破片創により上海陸軍病院に入院
同年8月 右手鈍痛残り稍々不自由なるも、出願退院、再び第一線復帰、爾来○隊長として、又副官として奮戦
昭和16年1月2日 中華民国浙江省で警備勤務中罹患
同月20日 死去、同日陸軍中尉に任ぜられる。行年28才

幾つか書簡も収録されていて、『土に祈る』と『斑雪』を贈られた後の昭和15年3月30日付町田テル子宛書簡には、

私が詩集を読むといふことを、私の友人達が聞いたら恐らく柄にもないことだと笑ふと思ひます。表面的に見ると確かにさう思へるらしい。併し案外本人はさうでもないらしいですがね。詩を読む境地は又格別なのですが、今迄斯うしたものに目を通す時間を得なかつたことを時折残念に思つてゐました。中学時代は高校の入試に、高校時代は大学の入試に独乙語と大学では法律ばつかりに追はれた自分を振り返るとつくづく情けなくなる。

とある。松本高等学校を経て、東大法科卒。平時ならエリートコース。戦争により立身出世も恋もすべてが奪われた。