神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

キクオ書店で田中俊次編『思ひで』(来蘇館、昭和5年5月)

キクオ書店にて800円。23頁。発行所の来蘇館は京都市左京区岡崎最勝寺町の平安徳義会内に所在。編者の田中俊次田中緑紅として知られる郷土史家で、本書は昭和5年3月に亡くなった母富子(とみ子)の饅頭本。緑紅の伝記を書こうという人には有用だろうが、そうでもなければ資料的価値はあまりないか。もっとも、府立総合資料館も含めて所蔵する図書館がないようなので、少し内容を記録しておこう。富子の略歴は、

慶応2年10月1日 大分県臼杵町の造酒家田中作の四女として生まれる
臼杵小学校卒業
明治13年9月 田中歌永の養女となり入籍し、京都市民となる
明治16年11月11日 田中泰輔と結婚
明治18年4月8日 長女梅岡出産(福島外科病院長福島昌夫人)
明治21年5月18日 長男俊蔵を出産するが、22年2月13日夭死
明治24年1月12日 次男俊次出産
明治25年8月19日 三男俊秋を出産するが、29年9月3日死亡
明治32年3月11日 次女静子出産(久家外科病院長久家甚之助夫人)
明治33年11月19日 三女藤子出産(経済学士谷村敏夫夫人)
昭和3年2月27日 来蘇館へ転居
昭和5年3月18日 膵臓癌で死去

俊次宛に来た弔電のうち氏名が記載されているのは、

京都 中村信次郎
和歌山 淵やすゑ
大阪 村上敏三郎
岡崎 稲垣安郎
大阪 原田政一
大阪 後藤捷一
東京 中山太郎
大阪 芦田止水

俊次は「慈母」で、

とりわけ私は、子供の時から病弱で、どんなに心配をかけた事か知れません、長じて民俗学と云つた変な方面に走りました為め、生活の事を考へませんでしたのでとんだ気苦労をかけました、お蔭で吾々の努力はやうやく十数年後の今日、世間的に民俗学が知られてくる様になりました、こうした勝手な事を自由にやらしてもらつたのは全く両親のお蔭と喜んでおります、別していつも不在勝の家庭に対し母はどんなに世話をしてくれた事か知れません。

と母への思いを語っている。
発行所の来蘇館は、俊次の父泰輔が創立した平安徳義会内に自費を投じて建てた住居のようだ。