神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『白塔』創刊号(白塔社、昭和3年6月)と小笠原秀実

先日誰ぞやK大の某先生も来ていた四天王寺大古本まつりでシルヴァン書房から500円で入手。表紙にレニエ(フランスの詩人らしい)の

詩にはきのふもなく明日も
なくけふもない・・・・・・
それはいたる処に於て同じ
である

が引用されている。編輯兼発行者は京都市外花園臨済宗大学(現在の花園大学)内の北川宗一、印刷所は京都市姉小路千本東入の民文社、発行所は民文社内の白塔社。16頁非売品の小冊子(縦13cm、横9.5cm)。表紙と奥付だけ見て、てっきり京都で発行された戦前の詩集かと思って購入。帰ってからよく見たら歌集であった。寄稿者は、

四明
多和田文道
藤田精二
白絃
小笠原秀実
小原与
早苗亮雄
坂本一夫
静月
つねたみ
猪沢悦三
柏嶺
山田一虚子

全然知らない人ばかりだが、そういえば八木康たか『小笠原秀実・登 尾張本草学の系譜』(リブロポート、1988年10月)という本があったと見てみる。仏教専門学校(仏教大学の前身)や仏教大学の教授を務め、仏教的アナーキストでもあった小笠原秀実の娘宮田ていに市川白弦が送った1984年2月3日付けの手紙が引用されて、次のようにある。

『思想紀元』という雑誌を、大門一樹氏らと出そうと話合った記憶がありますが、たしかではありません。
べつに掌篇冊子『白塔』を5号ぐらいまで出しましたが、終りでした。前出の作もふくめた冊子であり拙作に、「いかなれば かくも事無き おもわしくて にんげんの子は うまれたりけむ」がありました。これもすべて残っておりません。

わしも『仏教者の戦争責任』の著者として知っている花園大学名誉教授の市川は、小笠原の愛弟子であったという。本冊子中の「白絃」は正しくは「白弦」なのだろう。仏教大学や花園大学にも無いようで、貴重な一冊だ。