神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

赤尾照文堂で『小国式断食療法』(嵯峨断食道場、昭和7年?)

先日赤尾照文堂で購入。44頁の冊子。冒頭嵯峨断食道場主小国鉄哉が断食療法が病気治療に有効な理由、どんな病気に効くのか、道場の概要などを執筆している。執筆時期は「昭和七年初夏」。『苦痛なく家庭で出来る断食療法』(覚勝院断食道場、昭和4年)と『健光園式断食療法』(「健光薗」嵯峨断食道場、昭和9年)の間に刊行されたと思われる。
本書には『主婦之友』昭和3年6月号の「洛西嵯峨の断食道場を訪ふ」が転載されていて、それによると、

此の道場の主宰者小国鉄哉氏は、もと大阪で内外商事信託株式会社の重役をしてゐられた方で、十年前から二木博士の腹式呼吸法、江間式心身鍛錬法、松本道別氏の人体ラヂウム等を研究されてゐました(略)

とあり、「霊術家の饗宴」の時代を感じさせる。
ところが、一昨年(昭和元年)頃萎縮腎と動脈硬化の症状が現れ、あちこちの病院にかかるも治らないので、生駒山不動院の断食道場に入り、二週間断食をすると医術で治らなかった動脈硬化が拭うようにとれたという。この驚くべき効果を認めた小国は研究を続けて、財界を退いて道場を創設したそうだ。
なお、本書に奥付は無いが、裏表紙に嵯峨断食道場(旧覚勝院断食道場)とあり、本院が京都嵯峨大覚寺門前に、分院が鳥取県三朝温泉三朝神社境内とされている。
さて、小国鉄哉だが、『あすのために 創立30周年記念誌』(健光園、昭和54年)によると、本名は安太郎で、姻戚関係にあった亀山弘応僧正を通して大覚寺門前の覚勝院三好僧正に話をしてもらい、境内に断食道場を創設できたという。ところが、安太郎は昭和9年3月1日に死去し、長男の健治が継承。その健治も23年3月20日に享年50で死去し、24年1月亀山僧正が上京し、断食道場を養老施設に改造、同年4月養老施設が開所したという。
現在も社会福祉法人として健光園は存在しているようだ。戦前の資料が存在していたら、近代京都の一つのパワースポットの歴史が明らかになるかもしれない。