神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

創立期の東大SF研

『うん』10号、昭和52年8月は、東大SF研創立10周年記念特別増大号。「うんのうらがわ」に掲載の岡田芙氏(=岡田英夫=谷口高夫)の言葉には、次のようにある。

佐藤正明*1がいて、小谷善行がおり、そして原田信一がいた。森田裕がいて、ぼくがいた。それは、学生会館の一室、エスペラント研究会の部屋で芽生え、喫茶店〈レオ〉で成立した。
昭和四十二年、十一月のことーー。
それから、徳田伸二があらわれ、秋沢徹郎がくわわり、そして、黒田敏子、西城恵一*2、鶴*3直行、山下久がきた。なぜか“キタロー*4今岡清も来た。

今岡氏が「なぜか」と言われるのは、学外者だったからで、小谷氏の言葉として、「原田信一が連れて来た。中央大、あだ名はキタロー、現在早川書房と思う」とある。
今岡氏は、東大SF研の創立期のメンバーだったのか。

*1:初代会長

*2:第二代会長

*3:正しくは、雨冠に鶴

*4:『今岡家の場合は』(学習研究社、1994.11)の「プロローグ夫婦の会話その1」で、中島梓が「水木しげるの『墓場の鬼太郎』というマンガがありまして、この主人公の鬼太郎が前髪を長くたらして半分顔を隠してたのね。かつて、三十年ばかり前にはウチのダンナというのはわりとそのキタロウ的なイメージだったのでSF仲間などに「キタロウ」と呼ばれていたというわけなんです」と発言している。