神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

群馬県人田村栄太郎

玉川信明『田村栄太郎 反骨の民間史学者』を再読。

話が前後するが、田村は農民運動を調べ始めた最初の頃には、高崎から県庁所在地の前橋市立図書館に通っていた。ここに松平大和守の家の藩庁史料があって、その中に一揆史料も入っていたので貸してくれといったら、館長が、貸すのは困るから見にきてくれといった。それで田村は半年以上も市立図書館に通い、重要なところはみんな書き写してきた。その中に宿場の交通史の史料も入っていたということである。

田村は、明治26年9月25日高崎市嘉多町十九番地生まれ*1。川合義虎とも親しかったという。

田村はどういう縁でか、かの亀戸事件で殺された河(ママ)合義虎とも大変親しくて、河合は東京と群馬の間を始終往復していた。河合が運動を指導していたというわけではなくて、田村を介していろいろ世話を受けていたという関係らしい。田村も河合を畏敬していて、「もし河合が今日無事に生きていたら、共産党の中央委員か何かになっていたろう」といっている。
ただし当時河合が虐殺された亀戸事件については、ぜんぜん知らなかった。

*1:父円次郎は、富山県魚津の人。