神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

久米正雄と共に東大英文科を卒業した面々のその後

東京帝国大学一覧 従大正五年至大正六年』で、東京帝国大学文科大学英吉利文学科の大正5年7月卒業者を見ると、

豊田實、芥川龍之助(ママ)、山崎大輔、近成多一、成瀬正一、鳴澤寡愆、長澤英一郎、伊藤堯識、久米正雄、工藤亀三郎、上野寵太郎、久野眞吉、鈴木榮源、宮城運作、浅井綱雄、北澤貞造、大場一司、岡田與三、内田信夫、元山嘉次郎

今では考えられないことだが、この順番は卒業席次順である。当時は、官報にも掲載された。この人達のうち、豊田、芥川、成瀬は、小谷野敦久米正雄伝』に登場する。同書に登場しない人物のその後を、『第十四版大衆人事録』(昭和17年〜18年)で見ると、

長澤英一郎 明治22年1月生 学習院教授
伊藤堯識 明治22年9月生 大阪府立女子専門学校教授
工藤亀三郎 明治22年生 山形高校生徒主事兼教授(前掲書の索引には省略されているが、112頁に出ている)
久野眞吉 明治25年6月 弘前高校教授
浅井綱雄 明治20年10月生 愛媛県立西條中学校長
内田信夫 明治21年1月生 広島県会議員(ただし、同人事録には、大正5年東大法学部、同12年英文科卒とある)

このほか、「CD現代日本人名録 物故者編 1901-2000」によると、鳴澤寡愆(なるさわ・かえん)は、広大名誉教授、昭和52年9月4日没、86歳。鳴沢については田辺昌美「鳴沢寡愆先生を送る」『英語英文學研究』22巻1・2号、久野については伏見俊則「久野真吉先生を悼む」『比較文学』5号があるようだ。戦前の東大英文科卒という学歴貴族でも、なかなか全員のその後はつかめないものである。