稲岡奴之助に『新聞記者』(駸々堂、明治34年4月)という作品があるので、もしや稲岡自身も新聞記者ではなかろうかと思っていたら、正解だった。「新聞紙通信社一覧表 明治四十年十一月調査 警視庁」*1によると、『日本』の記者として稲岡の本名稲岡正文があがっていた。ただ、明治34年時点でも記者であったのかは、確認できない。引き続き要調査だ。
また、皓星社雑誌記事索引集成データベースによると、稲岡は『講談倶楽部』14巻18号(大正13年12月)に「小袖の縁糸」を執筆している。稲岡の生存はこの時点まで確認できる。