神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

黒岩比佐子『古書の森 逍遙』(工作舎)への補足(その5)

『古書の森 逍遙』において、書籍コード199は『女性』(新生社、昭和21年8月)。黒岩さんは、新生社の代表青山虎之助について、

青山は敗戦直後に新生社を設立し、同年一一月に『新生』を創刊している。『新生』はあっという間に売り切れて増刷となり、青山の名は焼け跡に出現した風雲児として、一躍有名になった。そのとき彼は三一歳。ブレーンは室伏高信だったという。

としている。室伏の『戦争私書』によると、

青山虎之助という一青年が、この雑誌(『新生』のこと−−引用者注)の計画者で、わたしは、その相談に乗っただけである。この雑誌が発足すると、いつの間にかわたしはこの雑誌からも除け者になったが、はじめのうちはわたしがむしろ中心で「新生」という名をつけたのもわたしであり、この雑誌の方針をきめたのもわたしである。

という。ごく短期間だけ、新生社に関与した室伏だが、その間の室伏が、太田宇之助の日記に出てくる。

昭和20年9月27日 新生社といふ新雑誌社に室伏氏を訪ひ、久し振りに会ふ。

    10月27日 新生社に室伏氏を訪ねたが会へなかった。

    11月5日 新生社の室伏氏と会ひ、街を歩きながら憲法問題などを話し、同氏の読売に出てゐる意見を支持した。

    12月1日 国府津で思ひ切って下車した。窓から出る。室伏高信氏を約束に従って国府津館の別館に訪ねた。(略)迷惑ながら中食に麺類の馳走になり、囲碁をして三時過ぎまで四時間を邪魔して、再びまどから入って帰途につく。

新生社は青山によって、昭和20年9月10日内幸町の大阪ビルに看板を掲げ、創立された。室伏をブレーンとして、『新生』を同年11月1日創刊。太田の日記は、創立初期の新生社とそのブレーンの室伏が出てくる貴重な日記だ。

(参考)太田については、昨年5月31日参照。

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岩波書店の8月刊行予定の本に円満寺二郎『数になりたかった皇帝−漢字と数の物語−』が。

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筑摩書房の「ホームページ」。文庫リクエスト復刊アンケートとか、10月の筑摩選書創刊(小谷野敦現代文学論争』など6点)とか。