神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

宇宙友好協会の松村雄亮

かつて、宇宙友愛協会という極左オカルト団体が存在した、あっ、「友愛」、じゃなかった、「友好」だった。この宇宙友好協会については、とりあえず、「ウィキペディア*1を見ていただこう。1960年代、安保闘争ならぬ、円盤闘争が行われていたことがわかる。山川の日本史の教科書には、そんなことは出てなかったね(笑)。この団体を率いた松村雄亮については、なぜかウィキペディアに立項されていないが、大伴昌司編の「日本SF人名鑑」*2には、次のようにある。

松村雄亮(まつむら ゆうすけ)
1 仕事の種類:円盤研究
5 卒業後の主な職業:インタラビア航空通信日本代表*3のかたわらUFO研究。宇宙人との交信に成功し円盤を呼ぶ実験を各地で行った。六〇年地球の地軸が傾くと警告。六三年熊本チプ[ママ]サン古墳を古代のUFO着陸地と発表し文化財保護委と争う。六四年北海道日高に円盤発着ステーションを建設、円盤着陸に備える
9 所属団体組織:CBA(宇宙友好協会)最高顧問

これを見ても、残念ながら松村の経歴はよくわからない。しかし、松村の父親と思われる人の経歴は判明したので、本邦初(?)公開。

松村信雄 明治32年7月5日横浜市生。戦前は、ドイツ国立航空聯盟満洲駐在員、満洲航空資材部外注課長を務めた。戦後は、スイスの『インタラビア』誌日本代表、ドイツの『フルクウエルト』誌日本通信員、イタリア・ナルデイ航空機会社日本代理を務めた。

ところで、松村雄亮って、いつ亡くなったのか、それとも健在?

*1:どうでもいいが、参考文献欄に誤記がある。

*2:『SFの手帖』(恐怖文学セミナー、1965年3月)。

*3:INTERAVIAの日本代表が松村信雄だった時には、雄亮は「日本通信員」という肩書きであった。この時点で、信雄は引退か死亡していたか。なお、スイス本社は大正10年創立、日本代表は昭和12年8月登録。17年1月開戦により、業務を中止し、28年1月再開。