田内長太郎については、昨年9月21日をはじめ何回か言及してきたが、富士正晴『竹内勝太郎の形成 手紙を読む』にも出てきた。
昭和4年6月5日付け「東京市外杉並区高円寺四十六番地 保原方「西谷の会」事務所」から竹内宛の書簡(印刷物)によると、病友西谷勢之介のために「西谷の会」が結成され、次の人々が発起人になったという。
原田浜人、保原豊治、恩地孝四郎、尾崎喜八、勝峰晋風、高村光太郎、田内長太郎、高木緋縒雄*1、辻潤、長与善郎、野口米次郎、松村又一、福士幸次郎、秋田雨雀、桜田常久、宮崎丈二、島崎藤村、島田青峰、百田宗治、千家元麿
詩人、俳人が多いようだ。日本近代文学大事典によると、西谷は明治30年1月生、昭和7年没の詩人。野口に師事したという。田内とはどういうつながりだろうか。
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『小説宝石』3月号に「大河ドラマ対談 小谷野敦×宮崎哲弥」。猫猫先生、なんかお疲れのような写真である。
今月号の表紙は、三省堂神保町本店のおにゃのこ、わりかし美人である。
*1:正しくは詩人の高木斐瑳雄か。