橋爪紳也『人生は博覧会 日本ランカイ屋列伝』(晶文社)は、「ランカイ屋」として、高村光雲、櫛引弓人、八日市屋清太郎、谷井友三郎、鍛冶藤信、油屋熊八、渡辺與八郎、森口留吉、土井万蔵、平沢嘉太郎、北岡善之助を紹介している。
櫛引は、安政6年陸奥国五戸村生。明治18年渡米、32年川上音二郎一座をアメリカに招聘。37年セントルイス博覧会で「フェアー・ジャパン」を経営、大正4年のパナマ太平洋万国博覧会では「日本協賛会社」の総支配人。同年には、「鳥人ナイルス」をつれて来日、翌5年青年飛行家アート・スミスを連れて全国を興行。13年に亡くなったという。
昨年6月18日に紹介した大正9年3月6日に築地精養軒で開催されたエシアン・レビユー発刊披露会(『亜細亜時論』4巻4号、大正9年4月1日)の出席者の中に、この櫛引の名前が見える。黒龍会とはどういうつながりだったのだろうか。ちなみに、同年9月29日の読売新聞に「東京市麹町区有楽町一の三櫛引弓人」が、契約不履行による損害賠償金十万円の請求訴訟を起こされたという記事が載っている。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
『本』3月号に坪内祐三「勝手口になっていれば良いのだけれど」。『小説現代』連載中の「酒中日記」の話。
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
インディ・ジョーンズ博士は、日本に来ていたらしい→「http://d.hatena.ne.jp/ma-tango/20100220」