三島由紀夫の処女短編集『花ざかりの森』を刊行した七丈書院の経営者渡辺新(戦後は八木新)。富士正晴は、八木に戦後再会したことを書いている。「私の三十歳」で、
この年(昭和18年)にわたしは、弘文堂を社長と衝突してやめ、間もなく東京の石書房、同じく七丈書院(三島由紀夫の『花ざかりの森』を出したのはここである。野田宇太郎はこれを自費出版みたいに考えているが、企画出版で、七丈書院主渡辺新に戦後再会して聞いたら、その頃もう八木新となっていたこの人は、三島の印税の取り立てのきびしいのにびっくりした、ああなると天晴れという外はないといっていた)の編集顧問ということになっていた。
としている。富士宛書簡を保管している富士正晴記念館の目録によると、渡辺からの書簡は、昭和18年5月12日から25年1月17日までの31通、八木からの書簡は26年1月4日から61年1月1日までの48通。毎年のように年賀状を送っていた八木からの書簡は昭和61年の年賀状を最後に途絶えているので、同年中に亡くなったのではないかと思われる。記念館で書簡を見れば、渡辺=八木の出身地(富士と同郷の徳島か)とか詳しい経歴がわかるだろう。しかし、それは三島の研究者がすべきことと思われるので、私の調査はここまでとしよう。
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