神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

三島由紀夫『花ざかりの森』の発行者七丈書院の渡辺新

三島由紀夫は、昭和19年10月15日第一作品集『花ざかりの森』を刊行。発行者は、小石川区大塚窪町二四の七丈書院の渡辺新であった。この渡辺について、三島は、「私の遍歴時代」で、

処女短篇集「花ざかりの森」は昭和十九年の晩秋に、七丈書院といふ出版社から出た。それは多分、七丈書院が筑摩書房に統合される前の最後の出版であつたやうに思ふ。こんな無名作家の短篇集が世に出たのは、全く「文芸文化」同人諸氏の口添へと、直接には、富士正晴氏の尽力によるものである。

福島鋳郎編著『戦後雑誌発掘』によれば、七丈書院は、明治書房、龍星閣、興亜書院、黄河書院とともに、筑摩書房へ統合されている。ただ、統合は昭和19年中には行われなかったようで、多賀宗隼編『慈円全集』が昭和20年1月*1に七丈書院から発行されている。

富士は、「『花ざかりの森』のころ」で、

昭和十八年の秋の頃*2のような気がするが、わたしは三島由紀夫を、神田の七丈書院まで呼び出して、はじめて会った。(略)
あんたの本を、伊東静雄が出せ出せとぼくにいうから、七丈書院から出すことにしようという位のことをいった後は、一体この学生を相手に何を喋ったらいいのか困惑した。(略)
東京の七丈書院と石書房という小出版社二つに関係していたが、わたしは大阪住いで、月に一回編集の連絡にやって来、林[富士馬]の家に厄介になったり、七丈書院の社長の家にとまったり、石書房の社長の下宿にとまったりしていた。(略)
思わぬことでもなかったが、その年の暮だったか、次の年の正月だったかにわたしは徴用されて工場へ入り、『花ざかりの森』の出版は三島と七丈書院主渡辺新(今は八木新)との間のこととなった。

昭和18年時点で、七丈書院が神田にあったというのは、spin-edition氏の「http://d.hatena.ne.jp/spin-edition/20090208」によると、確かに神田区小川町三ノ八に所在している。

富士によると、戦後は八木新と名乗っていたらしい渡辺新だが、三島は、「「花ざかりの森」出版のころ」で、「この書店のあるじは終戦と共に四国の郷里に隠棲し、その後一度も会ふ機会がない」と書いている。四国のどこか不明だが、渡辺新又は八木新を今後も探索してみよう。

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古本カレンダー」には、「羽鳥書店まつり」(2月11日〜14日)もちゃんと入っている。

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『環』に猫猫先生の反論は載らなかったが、平川先生の新連載「竹山道雄と昭和の時代」が始まった。

*1:国会図書館OPACに1946年とあるのは、誤り。

*2:三島が、『花ざかりの森』の「跋に代へて」に、「「世々に残さん」を書き終つた昭和十八年の夏に、富士正晴氏とも御近づきになつた」と書いており、夏が正しい。