津田和弘が元々社の命名者として、鵜澤総明をあげたり、斎藤晌をあげたりして、はっきりしないようだが、鵜澤と斎藤とは単に明治大学の総長と教授の関係だっただけではなく、極めて親しい関係だったようだ。
藤澤親雄『創造的日本学』所収の斎藤晌「天才のグリンプス」によると、
鵜沢総明先生が財団法人大東文化協会の研究部長をしていられたころ、先生の下の研究部員として私は藤沢氏と同僚であった。昭和十年頃のことで、いつも同じ部屋で一週間に二回くらい顔を合わせるので、自然に親しく交際するようになった。
昭和初期からの付き合いかと思えば、もっと前からのようである。石川正俊『鵜沢総明−その生涯とたたかい』には、
明治四十五年に付属中学校ができると、鵜沢が校長に推された。むろん明大教授兼任である。(略)江原素六が紹介してきたなかに、村田勤という男がいた。(略)鵜沢はこの男を教頭にとつた。(略)斎藤晌なども明治中学にひつぱつた一人である。
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『考える人』冬号の中島岳志氏の新連載「親鸞と日本主義」は、梅田の古書店梁山泊は中島氏が思想を学んだ場所だったと言っても過言ではないという話から始まるぞ。
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『芸術新潮』の創刊60周年記念特大号「わたしが選ぶ日本遺産」で、68名の選ぶ人の中に内澤旬子さんとか、猫猫先生の名前が。猫猫先生は、私小説、怪獣もの特撮、漫画とアニメーション、カラオケ、歌舞伎、性風俗産業を選んでいた。カラオケ嫌いのわしには、カラオケは余分だなあ。
先日の誰ぞのいない京王百貨店。最新科学小説全集の『発狂した宇宙』が箱付き、月報なしで840円(隆文書店)。他の書店でも、月報なしの同全集を見かけた。青森古書組合の古い合同目録が持ち帰り自由。
誰ぞの代わりに好青年(?)の「はほへほ」氏が「むかしの教科書」をあさっていた。
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