妹尾義郎日記から再び引用。
昭和15年1月19日 夜六本木の楽満六樹荘へ簡牛凡夫氏に招待され出席した、御客は千家尊宣氏、朝日の川上氏、井関氏、それに内山女史だった。千家氏は早く中座された、簡牛氏は福岡県選出の代議士で、中島知牛平氏の秘書的の方、皇国の非常時性を憂ひ、こゝに救国の大運動を起こさうよして国民を求めてをられる。内山女史は之に早くから参画して、輔翼会*1が生まれたのだ。先頃鵠沼の海岸でみそぎの催があったのも、此の人々の発意からであった。(略)此の会は皇道を中心に、みそぎ等の宗教的修行を根本として、四方に真剣の同志を求めようとしてをる。
3月5日 夜、六本木の出雲大社の分社の一室で、日高、岡本氏らの同人の会議があり、招かれて出席した。時局救済といふ非常突破の国民態勢について、進むべき道の討議がなされた。
「千家尊宣」は、出雲大社宮司千家尊紀の四男で、この時は大社教東京出張所副長。小田秀人は『四次元の不思議』で、内山若枝と関係のある団体として、宮内省関係、伊勢神宮関係、天理教、稜威会(川面凡児が創設した団体)をあげているが、大社教はあげていない。おそるべき内山のネットワーク。