神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

エラ・ケートと牧野信一

エラ・ケートが早稲田で英語を教えていたということだが、どうやら牧野信一が教え子だったようだ。
牧野の「文学的自叙伝」*1によると、

ところが私たちの中学とは違つて、ミセス・ケイトの会話の時間などには自ら進んで立ちあがり勇敢にまくし立てる学生もあり、中学生のやうに誰も彼も目して生意気だなどといふ者もないのは私を安心させた(略)ただ、たつた一遍予科の二度目の一年の時、ケイト先生の自由作文といふので満点を貰ひお前は外国の中学を出たのか?と訊ねられて以来折々廊下でつかまつたが、二年目には先生は商科へ移られて御挨拶の折もなく(略)


牧野は大正3年4月早稲田大学高等予科入学、4年7月予科原級にとどまり、5年9月本科に進んでいる。


(参考)4月5日

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気谷誠『西洋挿絵見聞録 製本・挿絵・蔵書票』(アーツアンドクラフツ)が出てた。
西洋挿絵見聞録―製本・挿絵・蔵書票


『おじさんの京都』(京阪神エルマガジン社)には、善行堂、アスタルテ書房ガケ書房に、大銀(食堂)まで出てた。なかじま食堂は出てこない、なかじまと言うと、この前知恩寺の古本祭りに行ったら、今出川通りの寺のすぐ横になかじまの弁当を売る店が出てたけど、いつから存在するのだろう。
おじさんの京都

*1:『新潮』昭和10年7月号。『牧野信一全集第六巻』所収。