神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

鈴木芳郎=日高輝忠=日高一輝の戦前・戦後

妹尾義郎日記で日高輝忠について、もう少し見てみよう。

昭和14年9月27日 二時内山さんが日高輝忠氏を案内して来訪、日高氏が旧若人社*1の運動に感激して、之の精神を継承したいから承知してくれとの交渉であった。


    10月7日 内山、日高両氏にたのまれた若人の原稿を書いた。


  15年2月29日 日高、内山、岡本氏らと、新宿のモナミで会食した、岡本氏らは「日本建設協会」といふ文化団体をつくって、ごく地味な宗教的態度をもった研究をつゞけ、「日本建設」といふ機関紙を発行してをられる。日高、内山氏らが新しく結成しようとしてゐられる団体と合流の機運がかもされた。


この日高だが、青桃氏の教示によると、日高一輝と同一人物とのことだったので、調べてみると確かにそのようだ。
戦後ダライ・ラマバートランド・ラッセルの自伝を翻訳した日高一輝と同一人物とされる(NDL−OPAC)鈴木芳郎の経歴を『第四版満洲紳士録』*2で見ると、

鈴木芳郎 開拓総局事務官[出生]明四五・一山形県[本籍]鶴岡市二百人町[続柄]故源蔵長男[学歴]京大法学部卒東大文学部中退[経歴]著述従事後外務省協和会各嘱託満洲開拓青年義勇隊訓練本部*3副参事を経て康徳九年*4九月現官職に就く 著書「祖国は叫ぶ」「鳥海颪」等[家族]母邦子妻とみ井長男晛之外一男四弟[住所]新京開拓総局


『祖国は叫ぶ』(青年塾、昭和15年)、『荘内百姓天保義挙鳥海颪』(青年塾、昭和15年)は、いずれも日高輝忠の著作であるので、鈴木芳郎=日高輝忠となる。また、この経歴は日高一輝の経歴とも一致するので、日高一輝=鈴木芳郎=日高輝忠と見てよいだろう*5


なお、日高輝忠が昭和15年6月に川上初枝と結婚したことは9月24日に紹介したが、昭和18年発行の前掲紳士録には別の妻の名が挙がっているので、同年までには離婚していたようである。

(参考)ウィキペディアの「日高一輝」。だんだん、誰ぞのじっちゃんに近づいてきた?

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田中俊男「「正義派」の「仕事」−里見弓享「金(かね)論」−」『日本文学』58号(2009年9月)。里見とん伝に言及。

*1:妹尾義郎が結成した大日本日蓮主義青年団の機関誌『若人』(大正9年9月〜昭和5年4月)の発行所。

*2:昭和18年12月発行。『日本人物情報大系第15巻』で復刻。

*3:昭和15年4月新京に設置。

*4:昭和17年

*5:厳密に言えば、妹尾日記に出てくる日高と『祖国は叫ぶ』などの著者の日高が同一人物である証明も必要である。妹尾日記の昭和15年1月20日の条には「成城学園の日高輝忠氏の宅」とあり、また、日高の著作の発行所である青年塾は世田谷区成城町一〇六にあった(発行者は同住所の鈴木芳郎)。