神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

三浦関造がアメリカで出会った神秘主義者たち


三浦関造アメリカで反ユダヤ主義者ペリー以外にもトンデモない人に出会っていたようだ。
三浦の「世界が変つて来る話」『日本及日本人』昭和6年8月15日号は、三浦とおぼしきm君、n君(ロシア人らしい)、e君(米国人らしい)による鼎談の形式をとる一篇である。これによると、

小生一年前より北米各地巡講、この夏分は日本人間に巡講いたし、九月より白人の群に向つて獅子吼すべく、アメリカを自動車で一週[ママ]します。(略)別封原稿お送りしました。凡て事実、内容のロシア人は最近ロシアに行つて見た男です。/また面白い事を御報道いたします。


とある。また、

m君が急いで、メキシコ境の町までやつて来た主要目的の一つは、米国の奇態な神秘家と、ロシアから戻つて来たこれも不思議な神秘家と、三人で世界の話をするためだつた。
アメリカといへば、機械文明、物質主義を口癖のやうにいふが、n君や、ハリウドのオーラ、メイ、ホーレン夫人や、オークランドのナイレンヴアンデル翁や、ニユーヨークのヘンマンさんや、ペリー君のやうな人は、将来のアメリカに精神的な偉大なものを投げこむ先駆者といつてよからう。クリスチヤン、サイエンスやマクハースンなどのやつてゐることも、馬鹿にはされないが、後から来るものは、もつと大なる約束を持つてゐる。
ロシアといへば、『宗教をバチルス』だといふ、本家本元のやうにしてゐるが、ニコンや、ドストエフスキーや、ブラバツキーのやうな人々は、スラブ民族の本能から出て来た人たちであつて、同じさうした不思議な霊的本能は、n君の如き非凡な人間をつくり出してゐる。


とあった。三浦がアメリカで出会ったのは、ペリーだけではなかったのだ。

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太田書店もいまや伝説となってしまったらしい。数回行ったことがあるが、行く度にゲームを販売するコーナーが広がり、魅力が無くなっていっていたので、心配していたのだが。雑然とした店内には掘り出しものも多かったが、デパート展などで太田書店の出展する本はトンデモ系の本も多く、わしも狂喜したものである。狂喜のあまり、本店(静岡浅間通り商店街)や曲金店(池ヶ谷店というのは知らない)の店頭では見たことのない本が多いので、店主と親しくなり倉庫に入れさせてもらおうかしらと真剣に考えたものである(笑)。曲金店も外見は新古書店だが、一般人には売れそうもない黒っぽい本を置く一角があり、桜沢如一の本(『西洋医学の没落』(ドクトル・ルネ・アランヂイ著、櫻澤如一訳。昭和6年12月発行))や『太陽』の明治特集号を拾ったものである。『心霊研究』の復刻版セットらしきものを収める箱も見たが、手の届かない棚の最上部にあったので、買うつもりのないものを見せてもらうのもどうかと思い、中身は確認していない。それにしても、復刻版セットを買うような人がそうそう手放すとは思えないから、亡くなって遺族が処分したのかしら。
この太田書店とは無関係だが、阪大そばの太田書店については、猫猫先生が詳しいらしい。

(参考)年譜があった。→「http://www.a-too.co.jp/gaiyo/gaiyo_rekisi.html

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大正8年4月 <英雄崇拝的の気持 武者君から享けた根本的な感化> 中央文学


    5月 <素人臭い所に面白味が> 改造


    6月 <いろゝゝの事> 改造/<私の創作の実際> 文章倶楽部


    7月 <現実に覚めよ>(談話) 文章倶楽部