内田誠 うちだまこと 明治二六・三・一〇〜昭和三〇・八・一三 随筆家。東京生れ。東京農大卒。俳号水中亭東京。いとう句会同人。作詞も手がけた。明治製菓宣伝課顧問などをつとめた。昭和一五年から小石川の蝸牛庵に出入りして露伴に師事、戦後の市川仮寓時代におよぶ。
また、田辺茂一「知らない久保田さん」(『久保田万太郎全集』月報1、昭和42年4月)によると、
誠さんは、府立一中の出身であったが、多少の病弱のところもあり、そのまゝ進学せず、明治製菓宣伝部に奉職していた。
趣味好尚の深い人で俳句もやり、俳号を「水中亭」といった。親交のあった人たちには、徳川夢声、渋沢秀雄、秦豊吉、久保田万太郎、小村雪岱、五所平之平助の諸氏がいた。
(参考)今月8日
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「CBA」というと普通「費用便益分析」あたりのことかと思うが、ma-tango氏や唐沢俊一氏クラスになると、「宇宙友好協会」*1のことになる。