神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

しつこく戦時下の里見とん


戦時下の里見とんをハツケン。『木佐木日記第四巻』。

昭和20年10月22日 今年の四月、帝国ホテルで志賀さんに会ったとき(*1)は、髪の毛も目立って白くなり、白いひげを胸のあたりまで長くたらし、それを見ると一度に十年も歳をとられたようで、驚きの眼を見張ったものだったが、今日の志賀さんは、ひげも短く刈り、急に若返ったように見えた。


(原注)*1 改造社解散後の昭和二十年四月二十三日、元社長山本実彦により、在京の旧『改造』関係の主な寄稿家十数人と、筆者も交じえた旧社員四名が、帝国ホテルへ招待され、戦時下としては豪華な宴席が設けられた。その席上、志賀直哉、里見弓享氏らの挨拶があり、この日の集まりは、山本をなぐさめ、はげます会となってしまった。(略)


4月23日には、他に木村毅(司会)、馬場恒吾らも出席している(松原一枝改造社と山本実彦』)。
猫猫先生が里見の詳細年譜を公表し始めた。

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山梨日日新聞*1よりも、東京新聞(2月1日)。黒岩さんが、「愛蔵書の理由(わけ)」を書いている。弦斎伝を書くきっかけとなったのは、中野好夫『蘆花徳冨健次郎』と江藤淳漱石とその時代』だったという。

*1:「書物蔵」を見ない人はわからないのじゃ。