猫猫ブログの「駒場学派の歴史(3)」にも出てくる寺田透は、神保町の喫茶「らんぼお」をぶっ壊したことがあるらしい。埴谷雄高「酒と戦後派」*1によると、
いま寺田透は東大教養部の先生として穏和な方でこそあれ、決して破目をはずす酔つぱらいではない。けれども、その頃の寺田透はひとつの処理しがたい鬱屈した精神であつた。私達が同じ神田から闇のなかを歩いて、その頃たまりになつていたランボオへはいつてゆくとき、寺田透は自身の躯などこの世界に要らないように激しく投げこんだので入口の横の大きな一枚硝子を華やかな音をたてて割つた。出版社主とランボオの経営主を兼ねていた豊かな白髪をもつた大柄な男である森谷均は、その大きな躯に似合わず気弱で、ついにその店を潰されてしまうほど文学者達に寛大であつたので、威勢よく硝子を割つた私達をいささか困つたような笑顔で迎えたが、もはや寺田透は店でなにかを飲むという段階にはなかつた。こんどは机も椅子も壊してしまうかもしれなかつた。こんなときの世話役はあまりのめない私とひとの身の上を気にする親切な椎名麟三の二人にきまつている。
河出書房から出した『序曲』第一輯(昭和23年12月1日)掲載の座談会*2を神田の中華料理店で開いたときのことという。寺田は当時、第一高等学校講師。
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『本が好き!』1月号の「今年読んだ「最高の一冊」」で、増田聡氏(大阪市立大学大学院文学研究科准教授)は栗原裕一郎『<盗作>の文学史』を選び、栗原氏との関係について次のように書いていて面白い。
栗原さんと出会ったのは今から12年前、今はなきパソコン通信サービス、ニフティサーブの芸術関係の会議室でのことだった。芸術を語りたい人々が陥りがちな無自覚な権威主義とは栗原さんは全く無縁で、今と変わらないエレガントな文章で彼らの尊大さを鮮やかに揶揄していた。私はすぐに栗原さんと仲良くなり、そのような芸術家気取りたちを連れ立って罵倒するネット生活を送っていた(調子に乗った私はその会議室から出入り禁止処分を受けた)。
同企画では内澤旬子さんも一冊(倉橋由美子『酔郷譚』)を選んでいる。南陀楼綾繁氏の「本町通り(ブックストリート)を歩こう」は、今回仙台。
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変なサイトがあった。→「http://spysee.jp/%E7%A5%9E%E4%BF%9D%E7%94%BA%E3%81%AE%E3%82%AA%E3%82%BF」