井伏鱒二と中島健蔵との対談*1にあやす〜ぃことが書いてある。
中島 大久保中佐というのは二・二六事件の「兵ニ告グ」の起草者だが不思議な人でね、テレパシーというのかね。物が突然とどこかへ運ばれちまうとか、SF小説みたいなことを信じていたんだよ。
ある晩電話がかかってきてね、宿舎へ来いというんだ。一人で。行ってみたら話がへんなんだよ。大阪にある省線電車の定期券を東京へ吸いとることなんかなんでもないと、こう言うんだよ。(略)戦争すんでからインク会社の役員になっていたらしいがね。
井伏 冥福を祈ろう。死んだ。
(略)
井伏 西荻の方にいた。僕はマレーから帰るとき、あの人の日記と書類をことずかって、奥さんのところに届けに行った。自宅は西荻で岸田国士さんの宅の近くだった。
井伏や中島が、戦時中にシンガポールへ作家徴用されていた時の出来事である。「大久保中佐」は、二・二六事件当時、陸軍省新聞班にいた大久保弘一。テレパシーというか、テレポーテーションは、大久保の妄想というより、帝国陸軍が研究していたのであろうか。そんな話は聞いた覚えがないが。
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「東大は出たけれど」と言うべきか。→「http://d.hatena.ne.jp/realiste0/20081120#p2」
*1:「戦争と人と文学」『太陽』昭和52年10月号