森本忠『僕の詩と真実』に衛藤利夫を発見。
昭和13年5月に熊本で『日本談義』という雑誌を創刊した荒木精之という人物がいるのだが、その人が水戸で開かれる「大政翼賛会の練成会か何か」*1に出るため上京した際の歓迎会に衛藤が出席している。昭和18年7月4日日比谷公園松本楼で開催され、主な出席者は、森本、衛藤のほか、高木保、福島青史、平川虎臣、小林龍雄、太田黒克彦、松村大三郎、渡辺得一郎、大鹿卓、浅野晃、野田宇太郎。
松村大三郎は、戦後熊本で古本屋をした人らしい。
松村大三郎即ち松村白南さんのことは書くことあまりに多いが、亡くなられたのは戦後熊本市米屋町で古本屋をやられてゐるころである。白南氏といへば先夫人飯田多絵子さんのことがすぐ想ひ出されるが、ここでは略しておかう。
衛藤は満鉄奉天図書館長事務嘱託を辞め、日本図書館協会の役員をしていた頃である。衛藤は熊本出身で、五高中退なので、荒木とはどこかで接点があるのだろう。衛藤については、同書には次のような記述があるだけである。
自己紹介をかねて、一席づつテーブル・スピーチをやったが、なりふりかまはぬ荒木氏の長い独身生活は評判だったらしく、衛藤利夫氏は、「荒木さんにも早く奥さんをもたせねばならぬ」と提案した。私は私の番が廻って来た時、「実は荒木君には小生の叔母山本茂登子が世話をして、すでに奥さんをもらってゐる」と紹介したことだった。
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某図書館人と、あのトンデモない人が密接な関係があったらしき事が判明。またまた大東亜ト学ネタか。誰ぞに調査依頼しやうかすら。