神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

萩原朔太郎と谷崎潤一郎の別れ


小谷野敦谷崎潤一郎伝』に、「谷崎は概して礼を失するようなことをしない人だが、朔太郎に対してだけは、妙に礼儀を外しており」とある。しかし、さすがに朔太郎(昭和17年5月11日没)の葬儀には出席していた。


津村信夫の日記によると、

昭和17年5月13日 式場にはもうたくさん人がきてゐた。堀さんも見え、その他詩人諸氏も顔が揃ふ。今日は余も生れて初めて、名刺受けを保田君らとやつた。谷崎潤一郎斎藤茂吉等の先生方も見えた。
室生さんは病気のせいもあつてか一きわ寂しげに見えた。
庭に立つて「この家は萩原の傑作だよ」と云つてゐられた。


参考:3月3日

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『すばる』7月号の「文学カフェ」に武藤康史登場。ネットでも読める。→「http://subaru.shueisha.co.jp/html/diary/d0807_1.html

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菅井かをる「日露戦後の物語 国木田治子「破産」」(新・フェミニズム批評の会編『明治女性文学論』翰林書房、2007年11月 所収)の注に、日露戦争関連の参考文献の一つとして、黒岩さんの『日露戦争勝利のあとの誤算』(文春新書)が挙がっていた。黒岩さんと武藤氏が慶應大学で同じゼミだったことは、今やウィキペディアにも出ているね。