神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 拓殖大学図書館員牛島軍平


皇道図書館の並木軍平発見!と思ったら、軍平違いだった。

青野季吉の日記によると、

昭和20年1月29日 ○労報の動員局長矢野兼三氏、□大の図書館長手島軍平氏と会ふ。斎藤氏、三谷君一緒。吉原の河内楼一室。矢野氏は富山県知事などをした人で、一風変つた肌合ひの役人だ。大男。「澤庵石」(?)の著者とはあとで知つた。俳人としてもさうたうのものらしい。だいぶ酔つた。俥で鶯谷まで出た。十二時帰宅。


注:□印は不明の文字


この手島軍平だが謎の存在。帝国大学なら館長になれるのは、教授・助教授・司書官クラスの人だった*1が、私大だとどうだったか知らない。いずれにしてもそれなりの人だったと思われる。
矢野は関西大学卒業後内務省に入り、昭和13年4月から16年1月まで富山県知事を務めた人で、『漬物石』(第一公論社、昭和16年)などの著作がある。


もしかしたらと思うのは、折口信夫の門下にいた牛島軍平という人で、拓殖大学の図書館に勤務していた。「牛」(うし)と「手」(て)の違いがある上に、館長ではなかったけれど。


牛島→手島の誤記もよくあるようで、国会図書館雑誌記事索引で、手島軍平・岡野弘彦解説・翻刻折口信夫の手帖 6」(『芸能』15巻7号、1973年7月)とあるのは、明らかに牛島の誤入力である。

                                                                  • -


黒岩さんの論文発見。
「明治期における「食育」の思想」『道徳と科学のインターフェース』(甲南大学総合研究所、2006年4月)


野田昌宏も亡くなられた。合掌。


ミネルヴァ日本評伝選のラインナップから『西郷隆盛』(草森紳一)が消えていた。原稿はどこまでできていたのだろうか。高齢の執筆予定者の分は優先的に出してもらわないと、というわけにもいかないか。

*1:で、よかったかすら?