神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

『婦人画報』記者列伝(その7)


よい子は「ほげほげ」としてないで、今日は東京古書会館(最寄の駅は神保町又は新御茶ノ水)へ行きませう。
午後1時「モダニスト佐野繁次郎の装幀について+佐野本の集め方」(林哲夫+西村義孝)
午後4時「編集者・国木田独歩と謎の女写真師」(黒岩比佐子

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伊藤整『太平洋戦争日記』にも『婦人画報』の記者が出てきた。

昭和17年4月9日 九時半頃、婦人画報社の石橋京策君来り、興亜文学塾の講師を依頼さる。断る。十二時まで雑談す。


    6月25日 午後婦人画報の石橋君、自分の小説を持って来て読めという。それから批評して、また雑談一時間あまりの後、この作品を新潮に紹介してほしいと言う。難しいと思う。彼は久野氏が新潮に紹介してやると言ったと言う。それなら久野氏に紹介してもらった方がいい。自分も手紙を出しておく。


  18年2月16日 午後石橋京策君来る。婦人画報をやめ、小説に専念の由。勤めをやめて大変愉快だという。一時−三時まで。


石橋君は作家の才能は無かったか、『日本近代文学大事典』を見てもみつからなかった。

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必ずしも情報は多い方が良いとは限らないが。
『日本出版百年史年表』1933年9月1日の条に「新小説社創業(島源四郎、1904.3.5〜).文芸書出版[昭和16.2.10合資会社に改組]」とあった。志賀直哉全集の注と生年月が異なるが、参考までに。