神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

 津田塾大学と失われたムー大陸幻想


後に津田塾大学塾長となる星野あいは、大正7年9月のコロンビア大学入学について自伝『小伝』で次のように振り返っている。

ニューヨークでは住居を探すのに一苦労しましたが、偶然の機会に昔、海岸教会でオルガンを弾いていらしたので顔見知りであった吉田信子さんが、コロンビヤ大学のすぐ傍にアパートを借り、住んでおられるのにめぐり合い、その一部屋をお借りすることができました。吉田信子さんは横浜共立女学校出身で、わたしがフェリス女学校時代に同じ海岸教会に出席していたため存じ上げていたのでした。吉田さんは、日本で宣教師として働かれた後、ミッションから離れやはりご自分の勉強のためにニューヨークに来ておられたミス・フローレンス・ウェルズ Miss Florence Wellsとご一緒に住まわれて、音楽学校でピアノの勉強中でミス・ウェルズはときに日本の記事を書いたり、靴下を材料にして縫いぐるみの日本人形をつくって売ったりしておられました。わたしは部屋をお借りした上、食事も一緒にしていただき、万事好都合でたいへん助かりました。


共立女学校で教師だった吉田とウェルズが共にアメリカへ旅立ったのは、大正3年6月。ウェルズはその後再来日し、星野と再会。昭和3年9月に津田英学塾の講師に就任。戦時中の抑留を生き延び、20年10月の塾再開後、復職している。津田塾にとって、恩人の一人とも言うべき人物であった。明治40年の最初の来日以後、日本での教育に生涯をささげたこのウェルズ女史は、本当にチャーチワードの助手だったのだろうか。

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本棚』(アスペクト)を見る。登場するのは、石田衣良宇野亜喜良大森望角田光代金原瑞人川上未映子喜国雅彦桜庭一樹長崎訓子中島らも穂村弘みうらじゅん山崎まどか山本幸久吉野朔実。川上の棚は読んだことのない本ばかりだったが、桜庭の方は、ハヤカワ文庫があってほっとした。

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井上章一『日本の女が好きである』(PHP研究所)なる本が出てた。