堀田善衛は李香蘭(山口淑子)のボディガードをしていたらしい。
「『戦後派」その文学的出発(1)」*1によると、
埴谷 堀田君は、八月十五日以後、どういうふうにして暮らしていたの?
堀田 ぼくのイトコに、昭和通商という参謀本部の直属会社で、蘇州で軍のために米を集める仕事をするのがいた。それが上海の虹口の郊外のマンションに越して来て、ぼくにこいって言うから行った。居候だ。そこは上海式の建物じゃなくてマンションだな。だからそこには東和商事グループも居た、映画の。李香蘭(山口淑子)さんとか、野口久光とか、川喜多*2夫妻とかね。李香蘭が戦犯だということになって、ぼくは李香蘭のボディガードになった、ある時期。
堀田は昭和20年3月に上海に渡り、国際文化振興会上海資料室に勤めていた。後に、インドであれこれ考える堀田だが、敗戦後の上海では生き延びるだけで精一杯だったことだろう。李香蘭のボディガードをしていたというのが本当かどうかは、確認できていない。また、例の昭和通商の名前が登場するのも面白いね。
参考:昭和通商については9月5日
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