神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

小説中の市河彦太郎


芹沢光治良は、市河彦太郎と同郷(現在の沼津市)の出身にして幼馴染であった。そのため芹沢の自伝的小説『人間の運命』には、市河やその弟妹が頻出している。

石田は知らない間に、文化事業部の第三課長に栄転していた。前任者は詩人で、日本ペン倶楽部の世話人であったから、文学愛好家の石田があの官僚的な柳沢氏に代って、課長になったことは、次郎にも、適任に思われて、心からお祝いができた。とくにペン倶楽部のために、好都合だと考えた。(略)
「君ねえ、ペン倶楽部にあまり深入りしない方がよくないかなあ。柳沢氏の話だと、ヨーロッパでは、ペンクラブの会員はフリーメーソンらしいね。(略)」(略)
しばらく会わない間に、石田があの厭味たらしい柳沢課長よりも、正真正銘の官僚になってしまったようで、わけがわからなかった。文化事業部第三課長という椅子が、人間をそれほど変えるものか。それとも、僅か二、三ヵ月東京をはなれている間に、石田をかくも変えるほど、軍とファシズムとの力が強固になったのであろうか。


引用文中の「石田」が市河、「次郎」が芹沢に当たる。
芹沢の小説には、市河が亡くなるときの様子も記されている。おそらく、芹沢は泣きながらその原稿を書いたのであろう。この小説によれば、市河と芹沢は実はいとこであったことになる。


(参考)市河彦太郎の略歴(「書物蔵」から借用、一部省略)


市河彦太郎 いちかわひこたろう 1896-1946 略歴
1896 静岡県(沼津?)生
1920 東京帝国大学法学部(政治科)卒
1920?〜 外交官 天津 ロンドン カルカッタ シカゴ(1927-1930) フィンランド
1937.7 文化事業部第三課長
1938.12 同 第二課長
1941.3 特別全権大使 イラン駐さつ
1942.4 国交断絶のため引揚げ 入ソ
1942.5 帰国 満洲経由
1946.4.1 沼津市で演説中倒れ死去