神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎のパトロン(その3)


渋谷の松涛(しょうとう)というのは高級住宅街らしいが、そこには渋谷区立松涛美術館がある。私も、何度も足を運んだことがあるのだが、逃した獲物は大きかったと思っている展覧会がある。一昨年12月から昨年1月にかけて開催された「幻想のコレクション 芝川照吉」展がそれ。芝川は、山本鼎石井柏亭森田恒友木村荘八岸田劉生といった、「方寸」や「草土社」に属する画家達のパトロンとして知られる人物。


芝川が谷崎のパトロンだったという明確な記録はない*1が、京阪流連時代に接触していたようだ。
岩野泡鳴の「池田日記」によると、

明治45年5月23日 晴。清子と共に正宗氏の展覧会を見に丸善に行き、その帰りに同氏並に森田、山本(鼎)二氏と道頓堀へぶらつき、明陽軒にのぼつて晩餐をやつた。
 

    5月25日 丸善へ行つたら、箕面電鉄の小林氏が正宗氏の画を見に来たので、氏の為めに一点を買つて貰ふことにした。谷崎(潤一郎)氏が来阪して文楽座に行つてゐるが、僕に会ひたいと云つてるとのことで、正宗氏と同座に行つた。(略)大阪の岸本、東京の柴川とか云ふ金満家の招待であつて、山本、森田、織田の三画家も来てゐた。


この「柴川」が「芝川」の誤記と思われる。
傍証としては、正宗・岸本名の明治45年5月18日消印の芝川宛書簡がある*2。それには「今日初めて岸本君ニ会ひました 君の下阪を待つてゐます 僕は二十四日より当地にて展覧会をします」とある。「岸本」は、谷崎の『青春物語』にも出てくる岸本吉左衛門で、芝川同様画家達のパトロンであった。「正宗」は画家の正宗得三郎。


谷崎潤一郎パトロン」と名づけた今回のシリーズだが、芝川が谷崎のパトロンだったと言うより、谷崎が画家達に便乗しただけという気もする。(その1)の文箭郡次郎は、小谷野氏ご指摘のとおり、「既出」の人で、昭和6年12月に岡本梅ノ谷の谷崎邸の購入者として知られる堂島の米穀取引所員だし、(その2)の曽野俊輔は谷崎の父(蛎殻町で米穀取引所の仲買人)を通じた知り合いに過ぎないかもしれない。
どうも今回は失敗作の予感もしてきたが、もう一人、パトロンもどきの人がいるので、読者よ、刮目せずに(笑)、待て!


追記:同美術館へは、渋谷駅から徒歩でも行けるが、いつも井の頭線神泉駅経由で行っていた。例の東電OLの泰子さんとすれちがったことがあるかもしれないね。生きていれば、今年50歳を迎えていたという泰子さん、あなたは、松涛美術館に行ったことはあったのだろうか。

*1:ただし、同展の図録は見ていない。

*2:佐々木清一「近代日本絵画初期のパトロン芝川照吉Ⅷ 芝川照吉と森田恒友」『三彩』1984年9月号