牛尾治朗の「私の履歴書」*1で祖父梅吉(1864-1934)について触れている所に谷崎潤一郎関係のネタがあった。
当時のことは人づてに聞くばかりだが、堂島の米穀取引所は、林市蔵理事長がのちに大阪府知事を務めるなど、社会的地位は相当のものだったらしい。牛尾梅吉は取引所の理事になったが、同時期に理事を務めた人物に文箭郡次郎さんがいた。
文箭さんは作家の谷崎潤一郎の支援者で、なかなか粋な人だった。
谷崎のパトロンだったとされる人について書かれた文献は他にも見かけたので引き続き紹介する予定。実際にパトロンだったかは検証が必要。
追記:国会図書館の雑誌記事索引で、小谷野敦氏の「駄洒落文化は廃れゆくのか」が、古谷野敦と表示されている。社保庁な並みの誤入力か。訴えられないように早く直しておきませう。