神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

東京帝国大学附属図書館司書小山栄三


今はなき「ジュンク堂書店日記」2006年4月28日分によると、

東大附属図書館長姉崎正治古野清人


日本古書通信」の「徳永康元さん」(八木福次郎)で徳永が、東大図書館に一時勤めていたことや、岡正雄古野清人によって昭和18年に設立された民族研究所にも在籍していたことが記されていた。

ところで、実は、その古野清人も、東大図書館に勤務していたことがある。
古野清人著作集 別巻』中「姉崎先生と私」によれば、

大震災の後、図書館の復興に渾身の努力を続けられたが、ロックフェラー財団の寄附金で新館が建設される頃は、アメリカ資本というのでいろいろな批難もあったらしい。しかし、先生は無条件で寄附してくれるのだからと意に介しなかった。その落成式の直後、館長室でほんとうに悦んでくれたのは英国大使とベルギー大使だけだと語られた。(中略)
わたしは大学を出てから世田谷の野砲第一連隊に志願兵として入営したが、三か月半で兵役を免除され、しいて定職を求めもしなかった。司書官の山田珠樹さんが、あるときブラブラ遊んでいないで、図書館にきませんかと勧められた。何かの事情で小山栄三君がやめていたので、小山君のあとでは嫌ですといったら、外に枠があるからといわれるので、先生に、山田さんが入れといわれましたがと伺いをたてると、先生は、山田君がそういったかねよかろうというわけで入れてもらった。
図書室に入ってから珍しく決闘をしたことがある。カトリック神父をやめてローマから帰った立花国三郎氏が先生の庇護ですでに図書館に勤めていた。


ここにちらっと名前の出てくる「小山栄三」って、あの社会学者の小山だったのだね。『近代日本社会学者小伝−書誌的考察−』に、小山は1925年東京帝国大学文学部社会学科卒業、同年東京帝国大学嘱託、同大学司書、1929年同大学新聞研究室発足に伴い研究員となる、とあった。


追記:『編集会議』6月号に江古田の「銀のさじ書店」登場。でも、江古田ってどの辺だ?