神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

軍用鳩委員部の鳩中尉と三田村鳶魚


久しぶりに伝書鳩ネタが提供できる!
三田村鳶魚の日記(『三田村鳶魚全集』第25巻・第26巻)で、「軍用鳩委員部」なる言葉に出会った。

大正9年4月26日 山田益次氏、鳩中尉。


大正10年3月21日 ○井崎中尉新妻を挈へて来る。


大正11年1月1日 井崎於菟彦(中略)来賀。


大正11年1月4日 井崎氏を頼み、一九会建築を湯浅組へ誂へる。


大正11年4月20日 一九会建築代金支払猶予のことにつき、軍用鳩委員部に井崎中尉を訪ねしに出張中ゆゑ、山田盛[ママ]次に委細を托し、十日間延期するやうに取計ふ。


大正11年4月26日 ○軍用鳩事務所に山田益次氏を訪ひ、上野の事につきて質す所あり。


大正11年6月29日 鳩事務所に山田益次氏を訪ふ。


大正12年10月25日 ○鳩の事務所にゆき、井崎中尉に逢ふ。


大正14年11月29日 ○井崎大尉、同鳩児。


昭和2年6月18日 ○井崎大尉、鳩通信仮教程持参恵与、八重と三人にて天金会食、古本市にも往く。


昭和7年8月6日 井崎少佐、同鳩夫。


昭和8年5月28日 ○井崎少佐、満洲へ来る四日出発のよしにて来至、満雄さんの事を頼む。


昭和8年8月26日 ○山田益次氏・井崎少佐今朝上京、帰るまで一度御尋可申と伝言。


昭和8年10月14日 ○井崎少佐の妻、及び、満洲行につき暇勾ひ来る。

昭和10年10月17日 ○ラヂオ聞きたりとて、井崎少佐新京より電報、如何にも其人らしくてよし。


「鳩中尉」こと、井崎中尉(後に少佐)。何者だろう?
「軍用鳩委員部」とは、陸軍の軍用鳩調査委員会のことか?


結局、井崎についてはよくわからないのだが、敗戦後も子供の「井崎鳩夫」と共に生き延びていたことが、日記で確認できる。大正14年11月29日の条の「鳩児」は、「鳩夫」のことなのか、別の子供の名前なのかは不明。「鳩夫」に加え、「鳩児」という子供もいたのなら凄いね。「鳩中尉」の子供が、鳩夫に鳩児!