神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

谷崎潤一郎『朱雀日記』の序章としての木村荘八日記


小谷野敦氏が探求している木村荘太「牽引」についての情報は持ち合わせていないが、その代わりに荘太の弟、木村荘八の日記『木村荘八日記[明治篇] 校註と研究』(中央公論美術出版、平成15年2月)を紹介しよう。


兄の荘太が頻出するのは当然として、その友人谷崎潤一郎の名前も度々登場する。人名索引がないので、「谷崎」という記述がある日を記しておこう。
明治44年2月12日、3月20日、6月29日、9月24・25・29日、10月2・31日
明治45年1月8・16日、2月21・25日、3月14・15日、4月4日


この他、たとえば明治44年6月11日に「階[ママ]楽園」の葬式に行く荘太が出てくるが、この葬式が誰の葬式かは、小谷野氏にはピンと来るであろう。


明治末期から大正初頭にかけて、谷崎潤一郎や木村兄弟、和辻哲郎後藤末雄*1が吸ったであろう空気と同じ空気を吸っているかの気分を味わえる書である。特に、『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』で「汽車恐怖症前後」に一章を割いた小谷野氏にとっては、明治45年3月15日、4月4日は瞠目すべき記述となるかもしれない。谷崎の『朱雀日記』の序章ともいうべき内容になっている。この本は、今のところ私が読んだ谷崎周辺の人物の日記の中では、最も味わい深いものである。


4年も前の刊行だし、註記分担者の中には福島さとみ(近代文学史 調布市武者小路実篤記念館)、伊藤陽子(同左)の名があるので、小谷野氏も含め、文学界では既に知られている文献かもしれませんが、念のため紹介しておきます。釈迦に説法になっていなければいいけれど。


最近つくづく思うのは、未知の資料を新発見するのも重要なのだろうけれど、既存の公刊資料をもっと活用すべきではないかということである。もっとも、これは、図書館界や文学界にだけあてはまる話ではないのだろう。

*1:日記にはもう一人「長尾氏」というのが連れとして出てくる。誰だっけ?