神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

水島爾保布夫人、水島幸子と野上彌生子


野上の日記*1によると、


大正14年5月12日 今日珍しい人が来た。水島爾保布の妻君だ。
江木キンキン女史のことをきいてちよつとおもしろかつた。


大正14年5月26日 高野春子久しぶりの来訪。原稿二つ持ち来る。(略)水島幸子も落ち逢ふ。例の家探しのためである。あの人が木内さんを知つてゐるといふことを今日の話で知つた。


大正14年11月5日 水島幸子門前を通つたからと云つて玄関までよつて下さる。


婦人記者、水島幸子については、7月19日7月20日参照。


江木キンキンという人も婦人記者だったけ?と思い、『近現代日本女性人名事典』(ドメス出版)をみると、


江木欣々(えぎ・きんきん)明治10年生、昭和5年没。新橋の美貌芸者として名をはせたが、法律学者江木衷(冷灰)と結婚。詩歌・書・画・謡曲と多方面の趣味をもち、社交界の花形となる。関東大震災で財産を失い、大正14年夫が没し、昭和5年自殺。妹のませ子は、鏑木清方の名作「築地明石町」のモデルとして有名。


とのこと。長谷川時雨の『新編 近代美人伝(下)』(岩波文庫)に出てくるみたいだけど、記憶になし。
それにしても、野上彌生子には、江木女史のおもしろい話について、もっと詳しく記録しておいてほしかった。


なお、かわじもとたか『水島爾保布著作書誌探索日記』(けやき出版、1999年6月)によれば、水島爾保布が根岸から西ヶ原へ引っ越したのは大正15年6月である。


追記:昨日から、「刺青〈しせい〉/堕ちた女郎蜘蛛」の放映が始まったみたい。小谷野敦氏は、やはり観に行くのだろうか。

*1:『野上彌生子全集』第Ⅱ期第1巻