4 水島幸子、「女だてらに」新聞記者(承前)
女性記者水島幸子については、平凡社創設者の下中彌三郎とも関係があって、『平凡社六十年史』(昭和49年6月)にも名前が出てくる。
[下中彌三郎は]昭和三十八年になると、かねてから希望であった「婦女新聞」に移り、記者として活躍するようになる。(中略)
「婦女新聞」の投稿家の中には、水島幸子(画家水島爾保布の夫人となる)や、石上露子として知られる杉山孝子、晩年下中彌三郎のよき伴侶となった米谷(天野)照子などがいた。杉山孝子は夕ちどり、米谷照子はいそちどり、水島幸子は桂飛桃子の筆名で短歌や小品文を発表し、「婦女新聞」の新進として注目をあつめた。
まだまだ、近代のジャーナリスト、特に女性記者には埋もれた先人が多いようである。「女だてらに」(冗談ですよ)古書展に乗り込む黒岩比佐子さんにこそ、掘り起こしを期待するものである。