3 大賀一郎と櫻澤如一をつなぐ蓮(承前)
蓮と言えば、ハス博士の大賀一郎を思い浮かべる人も多いだろう。
また、黒岩さんの『村井弦斎』では、「日本の近代食養思想の先駆者ともいえる存在」である「石塚左玄からは多くの弟子が育ったが、その中で最も有名なのはフランスに渡って食養法の普及活動を行った桜沢如一で、「ジョージ・オーサワ」の名前で日本より海外で知られている。桜沢が広めた食養法「マクロビオティック(正食)」は、現在も世界各国に実践者がいるという。」と、桜澤について注の中で紹介されている。
この大賀と桜澤は、意外(?)にも関係があるのだ。
府中市立図書館長を務めた大西伍一『私の聞書き帖』(昭和43年7月)所収の「大賀一郎」中の大西の日記昭和25年9月28日の条によれば、
かえりに大賀先生訪問。夫人のみ在宅。夫人が桜沢如一の食養会のことに精通しておられるので、いろいろのことを聞き出した。
一.大賀先生の蓮の研究がご縁になって相識る仲となった。桜沢氏は蓮根を優良食品として推奨して来られたし、また蓮根の節を咳止めの妙薬として用ひられていた。
一.夫人は食養会の講習を受けて、指導員となって活動されたこともあるが、戦時中は疎遠にしていた。しかしご主人のことが新聞に出たりして、お便りをいただき、また食養研究に熱心になられた。
(中略)
夫人から桜沢先生著『健康と幸福への道』を借りてくる。食を正せば健康となり、性格まで一変するという。
同11月12日の条には、
大賀夫人と姪御さんと落合い、桜沢邸へお供をする。桜沢先生渡仏の歓送会のため。
来会者約三十名。私は黙ってひかえていた。初見の先生は秋霜烈日の趣あり。なるほどご著書に「健康とは緊張である」とか「健康者の姿は、いつも獅子が獲物に飛びかかる勢がなくてはならぬ」とあるのがわかる。私には未見の世界が一つ開けた。
もっとも、大賀と桜沢との関係はもっぱら夫人を通じてのようだ。大西の日記昭和28年10月7日の条には、
奥様の病気見舞をいうと、(中略)
○桜沢氏の許へは、若い時からかくれてでも行った。よしその説に欠点があっても、これに従わせるより外に道がない。