『書物捜索 下』(横山重著)の次の一節。
江東の焼けた日の翌日、日比谷の図書館長なる人が来て、文化財保護という立場から、私の和本を買ってくれると言った。私は、渡りに舟として、帙入りの和本二千何百を渡した。洋装本は無代で提供すると、私の方から申し出た。二か月後に、館長の人が来て、古書店に評価せしめたら、八万円くらいというから、八万円なら即金で払うといった。これは、わたしの評価、したがって、はじめから先方に通じてある金高の、半分以下であった。
わたしは、水木京太に、相談した。水木は少し考えていたが、やられたら、一銭にもならないが、それでもいいかと言った。いいことはないが、仕様がないではないかと、わたしは答えた。では、わかった。利害は利害として、足元をば見ていうような、卑劣者に服さない方がいいと、彼は言った。われわれは笑った。お互いに、駄目だね、など言い合って、別れた。で、日比谷の本は取り戻した。これは間もなく焼けた。
五月二十六日の暁方。わたしに縁のある所は、みな焼けた。
「江東の焼けた」空襲とは昭和20年3月9日〜10日の空襲と思われる。当時の日比谷図書館長は誰か知ってるだすね。