神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(番外)


3 やはり春陽堂の編集者だったか、仲小路彰



高橋輝次『古本が古本を呼ぶ』には、次のように記されていた。


この本[小田嶽夫『文学青春群像』]で(中略)昭和初期の春陽堂の文学関係の編集者として難波卓爾と仲小路彰がいて、二入とも、坪田譲治に敬意をいだいていたことなどを知ることができた。


4月27日には、唐木順三の回想にしたがい、編集者というより編集顧問説に傾いたが、今度は編集者説の方が正しい気がしてきた。そもそも、仲小路と最も親しかったと思われる小島威彦が編集者と言っていることを重視すべきであったか?
野地秩嘉キャンティ物語』(幻冬舎文庫)で、仲小路は「体が弱いためどこにも就職せず」とされていたのは、何が根拠なのだろうか・・・


三木清昭和7年7月14日付け唐木順三宛て書簡には、

貴兄の書物春陽堂から出版して貰ふやう話をまとめました。なるべく早く印刷にかかりたいと云つてゐます。(中略)
この間御発表の山本有三論、志賀直哉論も一緒に入れてほしいさうですから、その原稿を至急左記宛送り届けて下さい。(中略)

 東京市麻布区広尾町二番地
  仲小路彰


とある。


仲小路の邸宅は広尾にあったというから、これは自宅と思われる。編集者であれば、原稿の送付先は会社宛てにするような気もするが、まあ自宅宛てということもありうるか。


仲小路彰」でググると、トップに仲小路の年譜が出てくるが、そこには昭和2年春陽堂編集者とあるので、それを信用すればいいのだけれど、文献至上主義(?)のわすとしては、活字で見つけないと気がすまないのであった。