6月6日に言及した日本人=シュメール人同祖論『日本の民族』(昭和5年4月刊行)の著者、戸上駒之助も登場する。
明治34年9月7日 戸上駒之助東京より至る。市病院長となれるなり。
大正6年12月29日 晴。寒甚。発賀正書。(中略)戸上駒之助夫妻、与謝野寛夫妻、(中略)渋江保、(中略)諸家也。
明治34年は鴎外の小倉時代に当たる。戸上は、医学博士であり、鴎外と親しかったようで、紹介した他にも数度登場している。
えっ、「得意の藤澤親雄は登場しないのか」って・・・
残念ながら、登場しないのだ。しょぼーん。
ふふふ、しかし、父親が登場するのだ。
大正6年12月10日 晴。(中略)午後青山胤通招藤澤理[ママ]喜太郎、賀古鶴所、小金井良精及予訣別。
父親の東京帝国大学教授、藤澤利喜太郎が登場している。この年、息子の親雄は、7月に東京帝国大学法科大学法律学科(仏法)卒、10月には文官高等試験に合格し、前途洋々たる若者であった。
藤澤利喜太郎には、トンデモの要素はないが、黒龍会の英文雑誌「The Asian Review」(大正9年2月〜大正10年11月)に、黒龍会の大久保高明なる使いの下、幾度か寄稿したという。