神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その11)


5 春陽堂編集者としての仲小路彰


仲小路彰には色々な顔があるが、スメラ学塾結成の前には、春陽堂の編集者であったという。
小島威彦の自伝『百年目にあけた玉手箱』第2巻によると、


唐木順三春陽堂版『現代日本文学序説』や富沢の長編『地中海』がきっかけとなって、春陽堂の編集者、仲小路彰のサロンがおのずから文学的サロンの様相をおびていった。そこへ宗教学の石津照璽のキルケゴールドストエフスキー研究会も合流した。そして石津が近衛連隊入営中の友人、目黒書房の主人も加わり、目黒書房版『バルザック全集』が富沢有為男装幀で世に出ていった。こうして石津照璽、古野清人たち、東大の姉崎正治(潮[ママ]風)に誘われてきた博学の伝統が、僕たちの移動サロンをフランス民俗学会に接近させることになった。古野清人はフランス民俗学会の会員であったからでもあるが、僕の属する精神文化研究所ならびに東大宗教学研究室の助手、堀一郎の参加を通してフランス民俗学会との親密度を一層濃くし、僕のアフリカ、西南アジア研究に有効な指針を与えてくれることになった。


出版関係に強い人なら、目黒書房とか、富沢有為男とかでピンと来るのかもしれないが、私には「なんじゃらほい」という感じだ。それよりも、古野清人堀一郎の名前の方にビビビと来るものがある。古野は、後に岡茂雄の弟正雄と民族研究所を創設する人物(昨年の12月21日参照)、堀は柳田國男の三女三千の夫だからね。


仲小路は「略年譜」によると、


明治34年2月 生まれ
大正13年3月 東京帝国大学文学部哲学科卒
昭和5年    小島威彦氏等とともに「科学文化アカデミア」創立。三枝博音佐々弘雄、斎藤晌、服部之総渡辺一夫等が同人
昭和13年   秋以降「世界興廃大戦史」(全120巻)を世界創造社より刊行しはじめ、昭和18年末までに43巻を発行
昭和14年2月 財団法人皇戦会設立
     3月 世界創造社より月刊総合誌「戦争文化」創刊。9号(11月号)で休刊
昭和15年6月 小島威彦氏が中心となって「スメラ塾」を開講
昭和17年   財団法人日本世界文化復興会を設立
昭和21年6月 財団法人文化建設会設立
昭和59年9月 死去


野地秩嘉キャンティ物語』(幻冬舎文庫)に、「体が弱いためどこにも就職せず」とあるのと、春陽堂の編集者とは矛盾する気がする。
少し調べたら謎が解けた。


唐木順三の「私の思ひ出の著書−『現代日本文学序説』」によると、

昭和7年10月に春陽堂から発行された『現代日本文学序説』が私の処女出版で、やはりそれがいちばん思ひ出が深い。(中略)
これが出版されるにいたつたのは三木清氏の斡旋による。三木さんは昭和5年共産党シンパといふことで検挙されたりした。当時春陽堂の顧問に仲小路彰氏がをり、三木さんから仲小路氏に原稿が渡され、それが編集部の高藤武馬氏に託され、出版といふことになつた。


更に、同氏の「私の履歴書」に仲小路のことは、春陽堂の「編集顧問」とあった。編集者ではなく、編集顧問の方が正しい気がする。