神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その7)


3 知的戦士養成機関スメラ学塾(承前)


それでは、原智恵子と面識があり、小島威彦への取材も行った石川康子さんの『原智恵子 伝説のピアニスト』(ベスト新書)を見てみよう。


神田の学士会館と向かい合う共立講堂を借りて開講されたスメラ学塾は、あの小島威彦と仲小路彰が発案者であった。塾長に陸軍大佐末次信三、副塾長に日本商工会議所会頭の藤山愛一郎をむかえ、熱気のこもったあらゆる講義が展開されたのである。(中略)
仲小路彰や小島威彦の思想に感化された紫郎は、パリ時代の友人坂倉準三と一緒に芸術家らが集うサロン「スメラクラブ」を同時に創設した。(中略)あの三浦環もそのサロンの常連であった。サロンには音楽家、詩人、哲学者、建築家、外国人の写真家、物理学者、政治家、ドイツ文学者などがひっきりなしに出入りしたのである。だが太平洋戦争が勃発し、戦局が悪化するといつの間にか集会所としての機能しか果たせなくなる。


今度は、「スメラクラブ」になっている・・・・


スメラ学塾」が共立講堂で開講されたというのは、正確ではない。

第2期以降は、そのとおりだが、第1期は、昭和15年6月から7月まで日本橋白木屋講堂で開催されている。
ちなみに、第1期の塾生七百名、講師は、末次信正、小島威彦、吉田三郎、波多尚、奥村喜和男市河彦太郎、伏見猛彌、石原廣一郎、泉三郎、丸山熊男、志田延義。


小島、吉田、伏見、志田は国民精神文化研究所所員。『言論統制』(佐藤卓己著)によると、伏見は情報官鈴木庫三を日大、東大時代に指導した人物。また、吉田、伏見、志田の3名は、佐藤がその人選が鈴木情報官によるものと推測した、講談社が強要された顧問となる人物である(ただし、この時点では、鈴木も奥村も情報局の官僚ではない)。