神保町系オタオタ日記

自称「人間グーグル」

情報官鈴木庫三とクラブシュメールの謎(その1)

1 坂倉準三から始まるクラブシュメールの謎解きの旅


前川國男吉村順三とともに国際文化会館の共同設計者である、坂倉準三の年譜に不思議な記述がある。

昭和15年 クラブ・シュメール(仲小路彰 小島威彦 深尾重光 川添史[ママ]郎 原智恵子 井上清一 ハール夫妻他)結成に参加 クラブシュメールは日本文化を先進的なシュメール文化とつながるものとして、その高揚発展を唱えたが同時にフランス帰りの芸術家達のサロンでもあった


中村屋サロンなら知っているが、クラブシュメールとは聞いたことがない。
いったい、どんな存在だったのだろうか、少し調べてみた。



クラブシュメールというと、荒巻義雄の伝奇SFにでも出てきそうな名前だ。
まずは、坂倉の代表作神奈川県立近代美術館で平成9年に開催された「坂倉準三の仕事」展の図録を見てみよう。「坂倉さんと創業期」(駒田知彦)によると、


坂倉さんが正式に事務所を開いたのは、[パリ]万博から帰国後、1940年の春だった。
当時の坂倉建設事務所は、木造、南京下見の大正式ポーチの付いた二階建の洋館で、その玄関ホールの直ぐ右の扉から這入り、その右の奥まった所が製図室になっていた。
二階には南インドのドラヴィダ族やインドアーリア族の源となる南メソポタミアの王国スメル(Sumer)族、その東漸の終点を日本と考え、その名を「スメルクラブ」と付けた部屋があり、欧州から帰ってきた知識人、哲学者、音楽家、写真家、建築家など謂わば梁山泊だった。(中略)三浦環のソプラノや原千恵子のピアノ温習(おさらい)の調べが響く事務所は、ユニークな雰囲気を持っていた。